データ分析の書記録

読んだ本の内容って忘れてしまいますよね。このブログは分析関係の読んだ本、勉強したことの記録です。

大本営参謀の情報戦記から学ぶ「情報を扱う」とは

はじめに

本書は以下の記事で紹介されていた経緯で読んだものです。 www.itmedia.co.jp

データ分析者だけでなく、企業人なら必須と言える様々な基本原則が書かれています。 作者は陸軍情報部、自衛隊に所属した情報部員で、戦時中〜戦後の日本軍や自衛隊の情報軽視の経験から、情報を正しく扱う必要性、扱うための原則や教育の重要性が書かれています。

本書にも書かれている「情報を正しく扱うための原則や教育(インテリジェンス)」というものが戦時中、戦後において軽視されていたという状況は、過去のものでなく現代の企業でも同様のものです。それはそうで、ビジネスにおけるスキルと同じで体系的教育が行われていないからですね。
特に筆者は戦時中におけるインテリジェンスに対する姿勢に連合国との大きな違いがあったようです。
では、本書からその情報のインテリジェンスを学んでいきましょう。

情報とは

  • 情報は収集するや直ちに審査しなければならない。こんなことは情報の初歩の常識である。
  • 情報は第五課のソ連嫌いのように、まず疑ってかからねばダメである。
  • 情報は二線、三戦での交叉点を求める式の取り組みをやらないと、真偽の判断は難しい。
  • 情報とは実に皮肉なものである。つめ先だけを出しあても常に全貌は出してくれなかった。
  • 情報は今回も悪戯をした。欲しくない情報が先に出たり、欲しいものが仮面を被ってやってきたり、一番頼りにしていたものが貝になったり、篩の中に残ったダイヤが、やけに光沢がなく小粒の石ころに見えたり、それでいて常に「いつまでに」という期限がつきまとう。
  • 常に兆候を集めてそれを通して相手の中枢を意思を探ることであった。父はよくこれを仕草と呼んだ。一つの兆候だけでわからん時は、時には鉄砲の一つも撃ってみることだ。そうすると別の兆候がまた現れて霧が少しずつ晴れてくる。
  • また情報とはかく非情なものだ。欲しいと思う情報は来てくれない。そして不完全な霧に包まれたような情報が、皮肉にも大手を振ってやってくる。欲しいものは二分、霧のようなぼんやりしたものが三分、あとの五分はまったくの白紙か暗闇のようなものであった。
  • 情報とはこのようなものである。常に断片的な細かいものでも丹念に収集し、分類整理して統計を出し、広い川原の砂の中から一粒の砂金を見つけ出すような情報職人の仕事であった。
  • 情報は記述のように、実に種々雑多なルートから入手し、これを統計的に処理していく仕事であった。

実務でも、確率分布の話でも真実や真の分布はわからないものです。得られているデータは真実の兆候であったり別の真実であったり。本当に必要な情報は手に入らないものであり、データはよくよく検討する必要があるという教えですね。

情報分析者の心構え

  • 枝葉末節にとらわれないで、本質を見ることだ。文字や形の奥の方には本当の哲理のようなものがある。
  • 本質を見失ってはいけない。いま何が一番大事か?
  • 研究に研究した基礎資料を積み重ねて、その中の要と不要を分析して出てきたものが情報の勘である。
  • 目前の現実を見据えたせんと、過去に蓄積した知識の線との交叉点が職人的勘であって、勘は非近代的な響きだというなら、積み上げた職人の知識が、能力になった結果の判断とでもいったらよい。
  • 情報の職人には、経験と知識と、深層、本質を冷徹に見る使命感が大事である。
  • 情報の人に当たるものは、「職人の勘」が働くだけの平素から広範な知識を、軍事だけでなく、思想、政治、宗教、哲学、経済、科学など各方面にわたって、自分の頭のコンピューターに入力しておかなければいけなかった。
  • 「顧問を作っても同じですよ、情報の判断には、百パーセントのデーターが集まることは不可能です。三十パーセントでも、四十パーセントでも白紙の部分は常にあります。この空白の霧の部分を、専門的な勘と、責任の勘とで乗り切る以外にありません」
  • この一大決断の時に、判断の資料を提供するのが新米ながらも情報参謀の使命であろう。
  • 「目隠しの剣術」戦場の情報参謀はそんな精神的雰囲気の中で仕事をさせられるのである。

データ分析の実務はデータがあればできるわけではなく、幅広い知識、ドメインへの深い理解と数値感が必要です。上記の情報を疑う力もこうした経験的勘が必要となります。そした職人と言われるだけあって個人の出す結論に大きな責任が付きまとい孤独な戦いが強いられます。

情報教育

  • 情報の仕事は職人のそれのようなものである。教えてくれと言っても教えてもらえないし、専門の教科書があるわけでもない。
  • 情報は教えてもらうものではなく、使命を感じて覚えるものであり〜
  • この立場においていかに判断し、それをいかに処理するかを、手を取り足を取って教えられるものではない。
  • 情報がどのように求められ、審査され、評価分析されて敵情判断にまで漕ぎつけるかの情報関係のトレーニングは、教官が示した状況(敵情)以外に考える必要のない、作戦本位の戦術教育では無理な注文である。

近年、日本ではデータサイエンスを扱う学部が大学に誕生しましたが、データを扱う能力を体系的に教育する機関はありませんでした。しかし分析技術を学ぶことはできても、実務での考え方(情報的思考)を学ぶことはまだ難しいでしょう。

情報と組織論

  • 日本人、いや日本大本営作戦当事者たちの観念的思考は、数字に立脚した米軍の科学的思想の前に、戦う前から敗れていた。
  • しょせん戦略の失敗を戦術や戦闘でひっくり返すことはできなかったと言うことである。この問題は、単に軍事の問題ではなく、政治にも、教育にも、企業活動にも通じるものであり、一握りの指導者の戦略の失敗を、戦術や戦闘で取り戻すことは不可能である。その中でも情報を重視し、正確な情報的視点から物事の真相を見つめて、施策を立てることが緊要となってくる。
  • 作戦当事者が謝るのは、知識は優れているが、判断に感情や期待が入るからであった。それゆえに作戦と情報は、100年も前から別人でやるように制度ができていたのであった。
  • 山から転がした大石の方向は変えられない。戦略とはそのようなもので、転がすときに斜面と方向を決めなければならない。戦略はいったん失敗すると戦術で取り戻すことは至難というよりも不可能だ。
  • レイテという戦場の特性に無知であったことであり、米軍戦力をこの時点に至っても何ら本質的に理解していなかった一握りの作戦計画立案者の大過失であったことは明白であろう。(略)つまりは情報を無視した戦略はいかに大きな犠牲を伴うか、ということである。
  • 孫子の言葉「爵禄百金を惜しんで、敵の情を知らざるは不仁の至なり、人の将にあらざるなり、主の佐にあらざるなり、勝の主にあらざるなり」敵情を知るには人材や金銭を惜しんではいけない。これを惜しむような人間は勝利の主になることはできない。
  • いかに兎が速い脚を持っていても、あの長い耳ですばやく正確に敵を察知しなかったら、走る前にやられてしまう。だから兎の耳は、兎にとって自分を守るための最重要な戦力だというのである。
  • 情報に無知な組織(国家、軍)が、人びとにいかなる悲劇をもたらすかと情報的思考の大切さを、本書の中から汲み取って下されば幸いである。

情報の入手、精査、判断をどうするかが組織の将来を左右する。この情報のインテリジェンスの重要性を学ぶことができるのが本書です。